世間を見ていて最近思うこと
世の中の大人って…、って思うことが多々ありますよね。
特に政治家の資質問題。
もちろん人間なのだからたまにはエラーを起こすこともあるでしょうけど、脇の甘い人が大変多く目立ちますよね。
謝って済むこと済まないこと、いろんなニュースを見て自分も大丈夫かふと気になったりします。
いつからが大人なんだろう?
ところで、あなたは『大人』として何年間人生を生きて来たと思いますか?
30歳だから10年、40歳だから20年と胸の内で実年齢と引き算をしているかもしれませんね。
日本では民法4条に「年齢二十歳をもって、成年とする」との規定に基づき、20歳以上のものを成年つまり大人と見なしています。
満20歳(現在は満18歳)を越えれば選挙権を持ち、飲酒喫煙が許され、ローン契約の締結も出来るようになります。
しかし20歳を超えたからといって、それだけで本当に『大人』と呼んでも良いのでしょうか?
『大人』の捉え方
もちろん年齢だけが『大人』としての判断基準ではないですよね。
例えば、「周りのことを考えることが出来る人を大人」と呼ぶ人がいます。
ヒトは一人では生きていけません。
自己主張も大切ですが、相手が喜ぶためにはどうすればよいのかを考えることも重要です。
相手を思って行動するといつの間にか相手と一緒になって楽しんでいるという、良い循環が生まれてくることもあります。
例えば、「自分のことを認めることが出来る人大人」と呼ぶ人がいます。
ヒトは自分をよく見せようとする生き物です。
それは自己が満足するだけであり、他人からはうんざりされることも少なくありません。
欠点も含めてありのままの自分をさらけ出せれば、相手も心を開こうとするのではないでしょうか。
『第三の視点』を持つことの重要性
私は「3つの視点を持っている人が大人」だと思っています。
1つ目は自分視点。自分の思いや主張を発信しようとする視点。
2つ目は相手視点。自分に対する協力、若しくは反対視点だったりもする。
そして3つ目は周囲の視点。周りの人は聞いていないようで、結構聞き耳を立てているものだらからです。
特に3つ目の周囲視点の感覚を持たない大人が非常に多く見受けられます。
●ガソリンスタンドで高校生のアルバイトの男子に、給油の仕方で怒鳴る高級車のオーナー。
●ファーストフード店でポテトの量が少なかったからといって、延々店長を叱る子連れの母親。
周りで見ているとこれほどカッコの悪いものはありません。
怒ったり注意したりすべき時はあるので、もちろん常に穏便に済ませる必要は無いですよ。
しかしこういったケースの時、彼らにはきっと自分視点と相手視点しか存在していません。
本人達にとっては重要なことでも、他人にとってはそう重要でないことの方がほとんどだからです。
「他人の目を気にして生きるのは嫌だ」という意見もあるかもしれません。
では毎日同じ服を着、着替えずにそのまま外出してみてはどうでしょうか?
多分他人の目が気になるからずっとは出来ないはずだと思います。
視点や行動も服装と同じです。
ヒトは一人では生きていけないことを、そして周りに対しては極力迷惑をかけないスマートな振る舞いを心掛けれている期間が、実質的な大人としての時間だと思います。
何度も言いますが、我慢をして耐えることを推している訳ではありません。
たまにチャンネルを回すと「スカッとジャパン」なる番組を見ることがあります。
内容はイライラするようなストーリーばかりですが、それをカッコよくスマートに斬る『大人』を見るとほんとにスカッと!しますよね。
気付いていないだけで実は自分もそういった言動をしているのではないか、と回顧するには面白い番組だと思います。
そうそう冒頭の質問を忘れていました。
あなたは『大人』として何年間生きてきたか、計算出来ましたか?